シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

ロビンソン酒場漂流記

2025年6月6日 ロビンソン酒場漂流記

第16夜 父の背中と味を追って

JR中央線豊田駅 徒歩21分「よこ坂」

著者: 加藤ジャンプ

イラスト+写真:加藤ジャンプ(特記した写真を除く)

 豊田駅で待ち合わせることになった。愛知県の豊田ではなくJR中央線の豊田駅である。忌野清志郎の母校のあった日野とユーミンの実家の八王子の間にある駅である。

 大学生の頃、90年代の前半、通学中に八王子駅で中央線に乗り換えていた。最初の二年は国分寺まで行って乗り換え、三、四年生と院のときは国立で降りていた。だから毎日のように豊田駅を通過していた。定期券を持っていたからいつでも豊田駅で降りることは可能だったのだが、数えるほどしか降りたことがない。何かの用事で中央大学に行くために、二、三回。あとは多摩動物公園に行くために二回くらいである。多摩動物公園には一人で行った。たぶん誰かを誘ったりしたとは思うのだが、記憶では一人で行ったことになっている。こういうときはそのままにしておくに限る。うっかりアルバムなど見返してはいけない。曖昧な思い出は曖昧にしておきたいという自らの意思があるからこそ霞のなかに揺蕩(たゆた)っている。曖昧なメモリーは天地無用なのだ。そっとしておこう。

 多摩動物公園の、放し飼いになっているライオンたちの中をバスで走るライオンバスというのが好きだった。私が乗ったときは、バスの窓のところに生肉がぶら下げてあって、そこにライオンが飛びかかるなんていうサービスもあった気がする。今、ライオンバスは健在なのだろうか。調べてみると、一時休止していたのが、また復活しているらしい。今乗ったら若い頃に乗ったのとは全然違う気持ちになるかもしれない。

 豊田駅でMさんを待っていると、サングラスをかけていない。だから表情がよくわかる。ニコニヤ。ニコニコとニヤニヤの汽水域という顔をしている。

 「いやあ、人生、初豊田ですわ」

 と、なんだか照れくさそうに言う。彼は鉄道好きである。あまり大っぴらにしていないものの、いわゆる鉄っちゃんないしは元鉄っちゃんであることは本人も認めている。そういう鉄っちゃんにとって、初めて降りる駅というのは、私のようなキハもクモハも今ひとつわからないような門外漢と違って、誰かと初デートするような心もちなのかもしれない。私はMさんと豊田駅との初めての出会いをあたたかく見守ろうとアルカイックスマイルを心がけたのだが、私の微笑が微妙だったせいか、Mさんは、やにわに真顔にもどりサングラスをかけた。その動作の機敏さに刺激された私は一曲思い出し

 「照れてサングラスをかける、みたいな歌、シブがき隊にありましたねえ」

 Mさんはちょっと考えてから

 「水着を目でどうのこうの?」

 「それは浅香唯ですよ。C Cガールでしたっけ」

 「違います。まざってますよ、それ。いろいろと。というか、あの頃はまだBーBOYって言葉は日本じゃ浸透してませんでしたよね」

 「私たちはDB-BOYですね」

 こうして、いつものように益体ない会話とともに豊田駅からのロビンソン行脚ははじまった。

 とりあえず北のほうだった。それは日野自動車の工場があるから間違いない。北口を背にして私は記憶に残っている、盛り場ビルがあるほうを案内した。スナックやクラブの集合看板が目印の昭和と平成のハイブリッドな雰囲気をまとったビルは、今も建っていてテナントも稼働しているようだった。

 「帰りに寄ってみますか」

 Mさんは威勢の良いことを口にしたが、二人ともロビンソン酒場行脚の帰りはヘロヘロでそんな余力がないことは重々承知しているので、私も返事はうやむやにして歩を進めた。

 途中、ショーケース内の食品サンプルが完全に化石化しているお店があって一盛上がりした後、私たちは大通りに出た。

 おかしい。

 こんな大通りなかったはずだ。目の前には巨大なショッピングモールが建っている。あまりの大きさにイオンというよりイデオンである。もしかして行き先を根本的に間違えていたりしないだろうか。私はにわかに、大いに不安になった。まさか私がそんなことを考えているとは思いもよらなかったのだろう。Mさんは呑気なことを聞いた。

 「ところでどうして豊田駅のロビンソン酒場を知ってるんですか」

 「おそらく人間関係のアレコレで降りたんじゃないかと思うんですよ」

 「落ち着かなかったんですなあ、学生時分は」

 と言う。はい、バタバタしておりました。ほんとうに青春前後不覚(小学生時代に最も感激したドラマのタイトル。東海林さだおさん原作)であった。前後不覚ではあったものの酒場についてだけはその頃から真面目に対峙してきたと思う。そこだけは真面目だった。ほんとうにそこだけは。

 だから、ほとんど豊田駅のことは知らないけれど、どういうわけか一度良い店に行ったことがあったのだ。

 今回のロビンソン酒場も何年ぶりかわからないくらい久々の再訪である。

 とりあえず大通りに出て北を目指した。ところが、なにかがおかしい。どうにも様子が違いすぎる。久しぶりに訪れた街が、あまりに変わっていてタイムリープしたような気持ちになることは、ままあることだけれど、それにしても変わり過ぎている。

 目の前に巨大なショッピングモール。なんとかアヴェニューなんて呼びたいような幅の広い道。どこですか、ここは。そんなとき、私の目に、聞き覚えのある和菓子店の看板が飛び込んできた。この店、前にもあったんじゃないか…質問するにはうってつけの店である。なにしろロビンソン酒場行脚は長い道のりだ。普段の何倍も歩くのでお腹がすく。そういうときは躊躇うことなく甘いものを摂取することにしている。空腹で不機嫌な中年が二人もいたら、街の空気が汚れるではないか。

 和菓子店は私よりも10歳年かさの老舗であった。私は最中や焼き団子などを買いながら、店員さんに尋ねた。

 「なんだか見覚えのない道なんですが…」

 「ここ、昔はアーケードだったんですよ。あのイオンさんが建っているところは大きな団地だったんです」

 私は膝をうって納得した。しかし、モールが完成したのは2014年というから、果たして私がこの街を最後に訪れたのはいったいいつ頃なのだろうか。

 焼き団子を食べながら私たちは北東を目指して歩いた。新しく太い道にはいつまでたっても慣れないものの、途中にお洒落な団地があったり、巨大な企業スポーツ施設があったりして飽きることがない。企業の体育館(今は休館しているようだった)を横目にMさんが口ずさむ。

 「輝きながら、ですねえ」

 「それは富士フイルムですよ、青山とかセッターの米山。ここはコニカ(ミノルタ)」

 「相変わらずジャンプさん妙に詳しいですね。で、この体育館は何に使っていたんでしょう」

 私は口籠った。そして謎の解けぬまま私たちは歩き続けた。そして、私は再び不安になった。予定ではもう工場が見えていなくてはいけないはずなのだ。日野自動車の。

 基本的にロビンソン酒場行脚にスマートフォンは必要ない。ほとんど土地勘の無い場所で記憶と大まかな方角を頼みに目的地を目指すのである。目を凝らし耳を澄まして歩くと、不思議と昔の記憶と今の景色が結びついて、意外なほどちゃんと目的地に辿り着くことができる…いや、やっぱりおかしい。完全に間違えている。私は思い切って告白した。

 「あのう」

 「どうしました」

 「一本、曲がるところ間違えてました」

 「ああ、そうでしたか」

 「失礼しました」

 「いやいや」

 ありがとうMさん。すでに焼き団子で買収していたせいか、Mさんはいたって穏やかだった。

 スマホでだいたいの方向をつかんだ私たちは軌道修正をして歩き出した。不安のないロビンソンウォークはロビンソンウォークらしくない嫌いもあるが、もう今日はじゅうぶん不安な思いをしたからいいのだ。

 住宅街をずんずん進む。この経路なら住宅街からいきなり工場の敷地につきあたるはずである。気持ち、歩く速度が速まっている。つぎのつきあたりが工場の壁。私たちは無言になって突き進んだ。

 そして、白い壁にぶつかった。

 だが、そこにあるのは壁と、その上には広いそらだった。壁の向こうに工場は、なかった。

 工事現場を囲う鉄板の塀だった。一体どこからどこまでつながっているのかわからない。私たちは慌てて、「建設現場の許可票」を探し、ここに別な建物ができることを知った。工場はなくなったのだ。茨城の古河の工場へその機能を移転させていた。時代は変わる。日野で作っているから日野自動車でなくてもいいのだ。ASIAというバンドには一人もアジア人はいなかったし、JAPANだってそうだったじゃないか。

 それから私たちは白い壁づたいに歩きつづけ、日野自動車の本社ビルが健在なのを確認して、いよいよ目的の店を目指した。もう足も気力も限界だった。

 「あ、あそこ」

 焼肉店が目印だった。だが、その焼肉店は遠目にもすでに暖簾を下ろした雰囲気が濃厚だ。これは、大丈夫だろうか。スカロビンソン(行ってみたらロビンソン酒場が開いてないこと)だったらどうしよう…私はにわかに動悸が速まるのをおぼえたが、近づいてみると、看板が新しくなったようだが、間違いない、この店だ、と確信した。それが、今回のロビンソン酒場、『よこ坂』である。

 引き戸を開けると小さなカウンターとテーブル席。木材を豊富につかった昭和の和の店の佇まいがそのままになっている。良い店だ。ほとんど口開けと同時に入店したから私たちが初めての客だった。カウンターの向こうから若い大将が気持ちよく声をかけてくれた。前に来たときは、こんなに若い人じゃなかったなあ、と思いつつ、カウンターに陣取り、まずは生ビールをお願いした。頃あいのいい大きさのジョッキになみなみと注がれたビール。遠回りしてきた体は、一気に活性化する。ビールは中年のカンフル剤である。ヒロポンではない。

 お通しにカボチャのサラダ風が出てきた。

 これまでの人生でカボチャを苦手にするおじさんに何人も出会ってきた。

 「こういうの嫌う、昔のおじさんっていましたよね」

 「ポテトサラダは好きなのにねえ」

 なんて言いながら口にふくんでいっぺんにご機嫌具合があがった。ほんのり甘いカボチャはねっとりとしながら、皮の歯触りはきちんと残してあって、あとをひく。きんとん、くらいの甘さはあるけれど、これがしっかり酒泥棒に仕上がっている。

 「うまい、うまい」

 とひとしきりうなっていると、大将が嬉しそうに微笑んでいた。いい感じの人だなあ。カボチャとビールに誘発されて、もう腹がへってたまらない。ここから先は例の如く矢継ぎ早。

 ししゃも天麩羅

 だし巻き玉子

 鯨肉刺

 カニクリームコロッケ

 白子の天麩羅

 手羽元と大根

 おひたし

 なすの田楽

 大将は忙しそうにカウンターの内側で料理をし続けているが、私たちが注文したり質問したりすると、にこにことこたえてくれる。多忙なほど余裕がでる、そういう人は素敵だ。どうやらその夜は、近くの名士たちが大勢集まる宴会があるらしい。それで準備に余念がない。それなのに、こんなに忙しいのに待たせない。

 ししゃも天麩羅が現れるとMさんが

 「天蓋つき!」

 と喜んでいる。持ち手のついた竹籠に踊るようなししゃもが、ジュディ・オングの『魅せられて』くらい薄い衣をまとって登場した。こういうのは、熱いうちにいかなくてはいけない。私は最近尻尾から食べるようになった。尻尾から身、そしてワタと頭という順に食べると、最後にほろ苦いのが楽しめる。それを流すかのようにぐっとお酒をあおるのである。で、このししゃもの天麩羅が実に良い揚げ具合で、衣と皮の一体感がまず出色。さくりという衣の歯触りとすこしねっとりしつつ香ばしさのある皮がふわっとした身を包んで口中にはいってくると、ふわっと「ししゃも味」とも言うべき独特の風味が広がる。旨い。たまらず日本酒。冷蔵庫から

 「これがいいと思います」

 と大将のすすめるのを頂くと、額面以上にぴったりであった。流石。

 カウンターには絵手紙のようなものが置いてあって「結局、だし巻き玉子を注文してしまう。」とある。まだ「結局」という局面ではないが、さっさとお願いしただし巻き玉子は、たしかに素晴らしい一品だった。みっちりと仕上げず、層一つ一つはしっかりしているのに、層と層の間にすきまを少しずつ開けている。だからふわふわの食感と同時に噛んでじわじわと出汁が染み出る歯触りも同時に楽しめる。これは傑作である。タッパー持参で持ち帰りたい。しかも出汁の塩梅が秀逸。これ見よがしに呑ませようという味付けになっていないのに、しっかり主張する。たまらない。

 「いらっしゃいませ」

 ほどなくして女性が現れた。聞けば大将の母である大女将。ずいぶん前に伺ったと話すと、

 「じゃあ、その頃、前の大将がいたころね」

 なるほど、やはりそうだった。

 「そうですね。看板も違ってました。だけど、美味かった居心地よかった印象は全然変わらないです」

 「よかったあ」

 なんだろうか、この時を越えた会話。思わず、残っていたコップの酒を全部呑み干してしまった。

 そんな様子を大将がニコニコと見て笑う。そして鯨とカニクリームコロッケが出てきた。冷たいのと熱いのを同時にいただく。贅沢だ。

 鯨は質のよいのが一見してわかる。溜塗のように深みのある赤身の色は見るだけで貧血が治りそうなくらい美しい。たまらずわずかの醤油と生姜をつけてパクリ。なんとコク深いのか。日野は捕鯨の街だ。エイハブ船長は地元の名士だ。

 カニクリームコロッケは熱々でほどよい塩味のクリームが良い。粗めのパン粉がまた食感を豊かにしていて、ソースとの馴染みもよく、大人が何個も食べたくなる出来だ。またビールが欲しくなる。

 しかし、まあ、気づいたらずいぶん酒が進んでいる。

 「昔は日野自動車の人とかいっぱい来たんですか?」

 「そうですねえ。同じ日に、グループごとに、かぶらないように時間をずらしていらっしゃるなんてこともありました」

 跡地には大きなデータセンターが出来るらしい。工場とは比較にならないくらいお勤めの人数は減るだろう。それはともかく、そこに勤める人たちは帰りに呑んで帰るだろうか。そうだといいなあ、と話しているうちに、白子の天麩羅と手羽元と大根、それにおひたしも登場。

 白子は新しいのをさっと処理している。良い天麩羅の油としっかり馴染んで香ばしい仕上がり。サクリと食べると濃厚な白子が崩れスープがどどどっとあふれる。キロ単位で食べられる。一緒に盛られた茄子も密かにいい仕事をしている。白子の濃厚さに染まりかける舌を爽やかな茄子がぐっと引き締めてくれる。手羽元は聞けばずいぶん長い時間煮込んだもので、そのとおりホロホロ。そして汁気をしっかり湛えている。だし汁もほどよい濃さで酒に負けないけれどオカズ感はそこまで出さない。バランスの良い巧い仕事だ。菜の花のおひたしもまた、驚くほどうまく、良い野菜を揃えているのがよくわかる。

 「先代が市場でしっかりつながりを作ってくれていたので、私もそれを引き継いで良い品物を仕入れることができてます」

 「その話だけで二合は呑めます」

 そんなことを言いながら、おそらく五合目の酒を頼んだ。

 気づくとすっかり満腹に近い。ところが、現れた茄子の田楽があんまり旨くて驚いてしまった。大ぶりで形がよく、色は黒々。そこに塩辛過ぎない味噌がたっぷり塗られている。手で持ってかじりつきたいくらい美しく艶のある茄子を、持ち重りするくらいの大きめのポーションにして箸で口に運ぶ。茄子のほのかに爽やかな香りのある汁気がトロトロッとあふれ、甘辛い味噌が混ざり合う。酒泥棒!! 怪盗!! 脳内の大向(おおむこう)が大騒ぎしている。

 よこ坂という店名は大将、そして先代の名字である。現在の主人、横坂裕幸さんは二代目。父である先代が開いたこの店を二年ほど前に継いだ。41歳のときだった。それまで鎌倉のホテルや日本料理店で修行をかさねてきた。板前の道に進もうと決めたのは大学生のときだった。

 「あたしは反対だったんですよ。サラリーマンになってほしかったの」

 大女将が言った。傍で大将の元同僚にして妻にして若女将が微笑んだ。コンビネーション抜群だ。

 「先代のときからあるメニューもたくさんあるんですよ」

 若女将が言うので、その一つをお願いして、大将に聞いた。

 「二代目は料理の道に進んだのは何がきっかけだったんですか」

 「父の、まあ、背中を追いたいなと思いまして」

 すこし恥ずかしそうな大将。私は自分の緊張感の無い背中を思い出し、手にしたグラスの酒を呑み干した。

 先代から引き継いだというクリームチーズの西京焼きが目の前に出され、またも追加したお酒と並んだ。とろりとした西京味噌の上に見るからに味の良さそうな焦げ目がついている。こういうものは火傷も厭わずガブリといきたい。パク、アツ、モグ。快作なのであった。西京味噌の品のいい甘さがクリームチーズの塩気と手を結ぶ。焦げ目の香ばしさとあいまってどこか果実を焼いたような自然にして特別な旨さがある。

 二階の宴会のお客さんたちが少しずつ集まってきた。そろそろお暇しよう。

 「また来ますね」

 「お待ちしております」

 大将、若女将、大女将の声がそろう。ああ、なんて良い店だろう。どこでもドアがあれば日参するのに。本気でそう思わせる。そしてあまりに旨くて居心地がよかったせいか、私もMさんも帰りの電車では乗り過ごして小さな旅を堪能してしまったことも、つけくわえておく。

この記事をシェアする

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

加藤ジャンプ

かとう・じゃんぷ 文筆家、イラストレーター。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、南蛮漬け愛好家。割烹着研究家。1971年東京生まれ、横浜と東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。出版社勤務をへて独立。酒や食はじめ、スポーツ、社会問題まで幅広くエッセーやルポを執筆している。またイラストレーションは、企業のイメージキャラクターなどになっている。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)など。テレビ東京系『二軒目どうする?』にも出演中。また、原作を書いた漫画『今夜はコの字で』(集英社インターナショナル)はドラマ化された。

連載一覧


ランキング

イベント

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら