(21)文化人類学者・師田史子の10冊
「賭ける」ことの意味を考える10冊
著者: 師田史子
福本伸行『賭博黙示録 カイジ』(講談社)
ドストエフスキー『賭博者』(新潮社)
井川意高『熔ける 大王製紙前会長井川意高の懺悔録』(幻冬舎)
ナターシャ・ダウ・シュール『デザインされたギャンブル依存症』(青土社)
池上俊一『賭博・暴力・社交:遊びからみる中世ヨーロッパ』(講談社)
沢木耕太郎『深夜特急1 香港・マカオ』(新潮社)
赤瀬川原平『世の中は偶然に満ちている』(筑摩書房)
フィリップ・K・ディック『偶然世界』(早川書房)
檜垣立哉『賭博/偶然の哲学』(河出書房新社)
酒井健『バタイユ入門』(筑摩書房)
私は文化人類学者で、賭博を研究している。賭博、ギャンブルと聞いて何を連想するだろうか。「オンラインカジノ」や「大阪IR」など、最近よく耳にするトピックを想起する人は多いだろう。某野球選手の通訳がカリフォルニア州の違法賭博に大枚をはたいて(盗んで?)世間を大きく騒がせた事件を思い出す人もいるかもしれない。往々にして、賭博と言うとどうしても悪いイメージがついて回る。
それなのに、私たちの身の回りには、賭け事が山ほどある。パチンコホールに宝くじ売り場、少し足を延ばせば競艇場に競馬場。数字やマシンや動物の競走に金銭を賭ける人々にとって賭博は、テーマパークに行ったり家でゲームをしたり渓流釣りに出かけたりするのと同じように、数ある娯楽のうちの一つである(いや、釣りは賭博の一種かもしれない)。私も賭けるのが好きな方だ。つい先日、家族旅行で初めて韓国に行き、緑豊かな競艇場で一日過ごして4万円くらい勝ってきたばっかりである。
不道徳だけれども娯楽として賭博を促進し続ける政治や産業。身を滅ぼしうるとわかっているのに賭けてしまう人間。賭博に付きまとうこうした両義性をひもといていくのは面白い。なぜならその先には、飽くことを知らない人間の欲深さ――個人・集団的な一攫千金への欲から、「分かりえない未来を知りたい!」という人類の大きな欲まで――がきっと浮かび上がってくるからだ。
以下では、2025年3月に上梓した『日々賭けをする人々』(慶應義塾大学出版会)の執筆の際に大きな刺激をもたらしてくれた珠玉の本たちを厳選して10冊、紹介したい。どれを手にとっても、賭博や賭けるという行為へのイメージに新しい何かをもたらしてくれるはずだ。
1.福本伸行『賭博黙示録 カイジ』(講談社)
賭博を通じて人間の生のドラマを描き出す漫画。日本における賭博文学作品の最高峰に位置する。「賭博のどこに惹かれるのかさっぱりわからない」という人は、まずカイジを読めばいい。頁をめくるうちに、登場する数多の「人間のクズ」へ魅了されていくこと間違いなし。麻雀やパチンコのルールがわからなくても大丈夫。最初はじゃんけんや鉄骨渡りなど、単純なゲームばかり出てくる。平均台渡りのような遊びに人生を賭けている必死な大人の姿を見ると、日が暮れるのを忘れるほどに遊びに熱中していた子ども時代がいかに豊饒で楽しいものだったのかがわかる。
2.ドストエフスキー『賭博者』(新潮社)
賭博論の王道を行く作品。ドイツの保養地で家庭教師をしていたロシア人の主人公イワーノヴィチが、ルーレットの赤黒に身を捧げ、身を滅ぼしていく。賭けを続ける主人公には、「負けるに決まってるんだからもうやめておけ」と思わずカットインしたくなってしまう。最後の頁まで溢れんばかりに綴られる主人公のめぐりめぐる心中の吐露は、賭博者であったドストエフスキーの経験そのものなのではないか、そうでなければこんなにもリアルな描写はできないだろうと思う。他と比して短い作品なので、ドストエフスキー未経験者にもおススメ。
3.井川意高『熔ける 大王製紙前会長井川意高の懺悔録』(幻冬舎)
賭博にのめり込んでいく人間のノンフィクションならば、これが傑作である。106億円をカジノに費やした張本人が、赤裸々にその経緯を述べている。麻雀やブラックジャックを経て最終的に著者が心酔したのは丁半博打のバカラだった。「運に賭けるしかないからこそ、頭脳プレイのゲームとは違った醍醐味がある」という言葉に続くバカラの賭けの記述には、偶然性を相手取る賭博者、しかも超ハイ・ローラーの異常性がにじみ出ているが、当時のゲン担ぎの方法などを読むと、「この人も同じ人間なんだなぁ」とほっこりする。
4.ナターシャ・ダウ・シュール『デザインされたギャンブル依存症』(青土社)
「なぜ人間は賭博に依存してしまうのか」と疑問を抱く人には、この本を勧めたい。ラスベガスを舞台とする本書は、人間を病的な賭けへ至らせるのは個人の責任能力のいかんではなく、メーカーやカジノをはじめとした賭博産業、そして行政であることを切れ味鋭く明らかにしている。文化人類学者として著者は、スロットマシンへ依存する人々の背景や心理も丁寧に読み解いていく。彼らはマシンギャンブリングに「不確実性」ではなく「確実性」を求めているのだという議論を初めて読んだ時の興奮は、5年以上経った今でも忘れられない。
依存症について考える本はほかにも、『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』(太田出版)が面白い。腹を抱えて笑ってしまう場面が随所にある。
5.池上俊一『賭博・暴力・社交:遊びからみる中世ヨーロッパ』(講談社)
賭博を含めた遊びがいつ、どのように、「真面目」な行為と対峙する「不真面目」な領域に位置づけられるようになったのかについて、中世ヨーロッパの歴史から丹念にひもといていく良書。遊びの機能や価値を子どもや大人、貴族や遊び人の姿から描き出したうえで、そうした遊びや(大人の遊びとしての)賭博が中世末期以降、資本主義の精神の誕生とともに、労働を阻害し愚弄する無為として追いやられていく社会的過程を鮮やかに論じている。
資本主義経済と国家による規制の絡まり合いから現代の賭博産業を捉え直す書籍も併せて読むと、理解がより深まるだろう。『パチンコ産業史』(名古屋大学出版会)、『インディアンとカジノ』(筑摩書房)などは、一般に流布する賭博産業の印象を変えてくれる。
6.沢木耕太郎『深夜特急1 香港・マカオ』(新潮社)
バックパッカーのバイブルだが、香港・マカオ編は賭博について考えるバイブルでもある。マカオに辿り着いた著者が「大小」というサイコロ賭博にハマってしまい、すっかり旅の出鼻が挫かれる。この作品の魅力はなんといっても、「音」である。サイコロが躍る音、ディーラーがプッシュする音。そのリズムに著者の心身が委ねられていく。反復的な賭けの時間が見事に描写されている。
7.赤瀬川原平『世の中は偶然に満ちている』(筑摩書房)
賭けについて考えることは、世界の偶然性について考えることと分かちがたく結びついている。この本は、考現学や千円札裁判で知られる著者が日常の中で巡り合う偶然の出来事を記録した日記である。個人的な、人やモノとの偶然の邂逅がひたすら綴られている。「人間の秩序を外れる現象を偶然と定義づけて、自分たちの反偶然の世界を固めている。しかし自然には偶然が満ちている。その自然界と人間界の境界を漏れる現象の一滴一滴に、人間の感受性がほのかに震えて、神秘や運命をそこにふくらませていく」。著者は芸術世界による偶然性の価値について書いているが、賭博者の世界にも通じるところは大いにあるだろう。
8.フィリップ・K・ディック『偶然世界』(早川書房)
偶然性について考える本をもう1冊。無作為抽出によって決定された地球政府の最高支配者の権力をめぐってテレパスやアンドロイドが暗躍するSFミステリー。もし世界の秩序がすべて偶然の何かによって決定してしまうとしたら?という思考実験が繰り広げられる。この世界では、偶然こそが理であり、因果も発生しない。しかし、偶然自体が支配者によって作り出されていく……。無作為とは?偶然とは?
PKDの作品で直截的に賭けが描かれるのは、『タイタンのゲーム・プレーヤー』(早川書房)である。不毛の地になった地球上で人間集団が不動産や妻、自らの社会的地位を賭けてゲームをする。不確実性との交渉、危険へと転化する過剰な運や生命力など、人間生活の根源を照らすような作品。
9.檜垣立哉『賭博/偶然の哲学』(河出書房新社)
最後に、賭博に身を投じ賭けることの人間的価値とは何かについて、大きな示唆を与えてくれる2冊を。フランス現代哲学から京都学派まで広範な研究対象を論じる哲学者によるこの賭博論は、著者のライフワークでもある競馬をベースとして、賭けの持つ意味を考え抜いている。遊びが背景とする無限性の中で、賭けはいま・ここの「一瞬」を際立たせる。その賭けに驚く賭博者たちの中に著者は、すべてをリスク的に捉えてしまう現代的な力に抗うような価値を読み解く。自己責任論やリスク社会論に辟易した人にも贈りたい1冊だ。
10.酒井健『バタイユ入門』(筑摩書房)
賭けの意味を考える上で上記の本とは異なる視角を授けてくれるのは、哲学者ジョルジュ・バタイユである。バタイユの思想を明快にまとめ上げた入門書がこちら。未来への気配りなどなしに自らの築き上げてきたものやエネルギーを非理性的に蕩尽することが賭けであり、そこには人間の至高性が宿る。難解なことを言っているように思えるが、「なぜあぶく銭はすぐになくなってしまうのだろうか」という素朴な問いにも適用可能な、私たちの身体感覚にも意外となじむ話が多い。スリリングで開放的で、人間味に溢れていて面白い。
他にも、『気流の鳴る音』(筑摩書房)や『コックファイター』(扶桑社)、『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』(集英社)をはじめとして、まだまだおススメしたい本は山ほどある。こうした本をきっかけにギャンブルを始める必要はまったくない。というか、このコラムをきっかけにギャンブル依存症になったりする人が出てきては困る。くれぐれもイワーノヴィチや井川氏を他人事だと思わないよう、用心してほしい。日本には平穏な生活を滅茶苦茶にするような賭博への落とし穴が無数に隠れている。
けれど、偶然の出来事に足を止めて驚いたり遊びの世界に浸ったりする時間には、退屈な日常や忙殺される日々から私たちを解放するような、人間にとってのたいせつさが宿っていると思う。今回ご紹介した本が、不確かなこと、分からないことに対する私たち人間の賭け――賭博から人生における決断まで――について考えるきっかけとなりますように。
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師田史子
1992年、神奈川県生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科助教。2022年、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科(5年一貫制)修了。博士(地域研究)。専門は文化人類学、フィリピン地域研究。論文に、Betting flexibly: the utilization of knowledge in cockfighting in the Philippines, International Gambling Studies. 24(3): 357-372, 2023など。著書に『日々賭けをする人々:フィリピン闘鶏と数字くじの意味世界』(慶應義塾大学出版会、2025年)。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 師田史子
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1992年、神奈川県生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科助教。2022年、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科(5年一貫制)修了。博士(地域研究)。専門は文化人類学、フィリピン地域研究。論文に、Betting flexibly: the utilization of knowledge in cockfighting in the Philippines, International Gambling Studies. 24(3): 357-372, 2023など。著書に『日々賭けをする人々:フィリピン闘鶏と数字くじの意味世界』(慶應義塾大学出版会、2025年)。

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